安倉鎮守の森・住吉神社由来記
鎮座地:宝塚市安倉中2丁目243番地
御祭神:底筒男命(そこつつのみこと)、中筒男命(なかつつのみこと)
上筒男命(うわつつのみこと)、以上住吉の3神
天忍穂耳命(あめのおしほみのみこと)、素(すさのおのみこと)
祭 日:祈年祭(きねんさい) 3月18日
夏祭(なつまつり) 7月31日
例 祭 (れいさい) 10月12日《秋祭り》
祈嘗祭(しんじょうさい) 12月 7日
その他、元旦祭(1月1日〜3日)
境内敷地:1,876坪6合9勺 本殿は流造り
創建:天長2年10月12日(淳和天皇時代、期限1485年。今から約1170年前、平安朝初期)といわれる。
住吉神社境内神社:皇太神社《御祭神→天照大神》
八幡神社《御祭神→誉田別命〔応神天皇〕》
お稲荷さん
巳さん
住吉神社は、明治時代の初めの神仏分離により、改名するまで牛頭天王社と称し、祭神の1つに『牛頭天王』が祀(まつ)られていました。
牛頭天王とは、もともとインドの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神で、日本では、疫病神(えきびょうしん)として考えられるようになりました。
安倉も明治初期までは、祭事には『牛頭天王』を指して、天王祭とも呼ばれいたかもしれません。(資料なし)
神仏分離に伴い『牛頭天王社』から現在の『住吉神社』に明治初期(年代不明)社名の改称とともに、祭神と祭日も変更し現在に受け継がれております。
又、安倉北「松林寺」北側の神社敷地には明治初期迄には『国府神社』が在り、明治2年10月12日『牛頭天王社』に遷宮(せんぐう)したとの記録も在ります。(安倉北・坂上治一宅提供)
現在、『牛頭天王社』『住吉神社』の古文書は残っておらず、古くには天正七年、伊丹城主「荒木摂津守村重」が「織田信長」に逆(そむ)き戦いとなり、村重が負戦し逃げる際にこの辺一帯の寺社をことごとく火を放ち焼払う (これを荒木焼けと言う)がこの社もこの為罹災し神殿其の他の建物も灰になったと聴く。
追:長年続いて参りました秋祭り『だんじり曳行』は、平成14年度より10月12日『例祭』に近い「土曜日」「日曜日」に変更致しました。
これに伴い夜店も之に合わします。