だんじりとは、神社の大礼祭で氏子達が神に奉納する物のひとつです。

現在、関西圏(東は三重県から西は岡山県)それぞれの地域で、多種類のものが存在し、様々な形のものがあります。

 まただんじりの表記もいろいろで、「地車・壇尻・段尻・台尻・壇車・楽車」と記されたりします。

 

 

 淡路島では布団太鼓台を「担ぎだんじり」、岡山県では船形のものを『船だんじり』というなど、地域によつて形も呼び名も異なっているが、我々が思うだんじりというのは、摂津・河内・泉州(もちろん安倉も)で曳かれているもので、そのほとんどは「地車」と表記され、【だんじり】と呼ばれています。 

 だんじりの発祥は今から300年以上も昔、大阪の天満宮というのはご存知でしょうか・・・?

 今や地車といえば、だんじり祭りで有名な岸和田が本場・発祥地だと思っている人も少なくないでしょうが、岸和田がだんじりの発祥地というわけではありません。

 日本三大祭のひとつである大阪の天神祭では、元禄(1688)から享保(1735頃まで)年間にすでに地車が登場しており、安永5年(1780)には天満宮に84台もの地車が宮入り奉納されたという記録が残されています。

 では、岸和国のだんじりはいつ頃からだったのでしょうか・・・。

 岸和田の祭りの始まりは、元禄16年(1703)。岸和田城主岡部長泰公が稲荷祭を行ったことからだといわれています。当初は、今のようなだんじりがあったわけでなく、太鼓を打つ人が、長持と呼ばれる大きな道具箱のようなものに車輪をつけた、屋根のない殺風景なものに一人だけ乗る形のもので、現在の地車とはかけ離れたものでした。それから天明5年(1785)に、岸和田・北町の油屋治兵衛が世話人となり、彫り物のたくさんある立派な地車(中古)を泉大津より購入したのが、現在の地車の前身だったといわれ、その後、岸和田の大工が独自の地車(現在の地車)を作り出していくこととなったのでした。

 したがって断定はできませんが、祭りやだんじりの発祥は大阪天満宮で、だんじりの形が伝播されその技術や文化が飛躍的に発展・普及したのが岸和田だと考えられます。

 さて、先述の岸和田の大工の技術が生み出したといわれる独自の地車は、「下だんじり」というもので、現在では岸和田型と呼ばれているものだけです。

 その他の地域の地車は「上だんじり」と呼ばれ、上だんじりには、堺型・大阪型・住吉型・神戸型・交野型・北河内型・石川型・吹田型・大和型・宝塚型など多くの種類があります。


 

 ちなみに我が上安倉・安倉南の地車は、ともに上だんじりで住吉型と言われるものです。

 

 次回では、上だんじりで住吉型の上安倉地車について、もっと詳しく話していきたいと思います。